株式会社ユニティ 山下優之のブログ

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2015.10.31

修身教授録

随分以前に 森 信三 先生 の 「修身教授録」 を拝読しました。

いつだったかは記憶にありません。

その時から、我が家の家訓は、

時を守り、場を清め、礼を正す

となりました。数年後、我が社の社訓にもなりました。

その他、森先生の名言集を備忘録として記しておきたいと思います。

ネットでいろいろと探してみました。

数年後、ごのブログを振り返った時の自分に向けて。。。。。

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いったん決心したことは
必ずやりぬく
人間になることです。
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例外をつくったら
だめですぞ。

今日はまあ
疲れているからとか、

夕べはどうも
睡眠不足だったとか考えたら
もうだめなんだ。
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できないというのは
本当にする気が
ないからです。
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一日は、
一生の縮図なり。
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腰骨を立てる
ということなんだ。

性根の入った
人間になる極秘伝は、
朝起きてから夜寝るまで

常に、腰骨を
曲げんということだ。
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道徳とは
自分が行うべきもので

人に対して
説教すべきものではない。
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己を正せば、
人はむりをせんでも、
おのずからよくなっていく。
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たびたび申す
ことながら諸君!!

この人生は
二度とないのです。
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一生の志を
立てることが根本です。

つまり自分の
生涯を貫く志を
打ち立てるということです。
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真先に片付けるべき仕事に
思いきって着手する。
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人間の人柄というものは
その人が
目下に対する場合の態度

とくに言葉遣いによって
分かるものであります。
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すべて物事というものは
理想すなわち最終目標を

あらかじめはっきりと
つかんでいないことには

とうてい本当のことは
できない。
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結局最後は、
『世のため人のため』という
所がなくては

真の意味で
志とは言いがたい。
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人間は
徹底しなければ駄目です。

もし徹底することが
できなければ、
普通の人間です。
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自分が現在
なさなければならぬ
と分かった事をするために

それ以外の一切の事は、
一時思いきってふり捨てる。
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自分の当然なすべき
仕事であるならば、

それに向かって
全力を傾け切るということは

ある意味では
価値のある仕事以上に
意義がある。
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内面的に
強くなることです。

他の一切のことは
すべてそれからのことです。
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自己に与えられた条件を
ギリギリまで生かすことが

人生の生き方の
最大最深の秘訣である。
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一日の予定を完了しないで
明日に残して寝る
ということは

畢竟人生の最後においても
多くの思いを残して
死ぬということです。
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人間は他との
比較をやめて

ひたすら自己の
職務に専念すれば、

おのずからそこに
一小天地が
開けてくるものです。
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一生を真に
充実して生きる道は

結局今日という一日を
真に充実して生きる
外(ほか)ないでしょう。
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人間には進歩か退歩かの
いずれかがあって
その中間はない。

現状維持と思うのは
実は退歩している証拠だ。
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人間は一生のうち
逢うべき人には必ず逢える。

しかも一瞬早過ぎず、
一瞬遅すぎない時に。
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人間の偉さは
才能の多少よりも

己に授かった天分を
生涯かけて出し尽すか否かに
あるといってよい。
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学校の再建は
まず紙屑を拾うことから。

次には靴箱のカカトが
揃うように。

真の教育は
こうした眼前の些事から
スタートすることを知らねば
一校主宰者たるの資格なし。
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感激とか感動
とかいうものは、

その人の魂が
死んでいない
何よりの証拠です。

ですからわれわれ人間は
感激や感動のできる間は

まだその人は進歩する
可能性を持っている
と言ってもよいでしょう。
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人間の値打ちというものは
その人が大切な事柄に対して

どれほど決心し努力する
ことができるかどうか
によって決まる。
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教育とは
人生の生き方の
タネ蒔きをすることなり
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教育とは
教師と子どもの
いのちの呼応である
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教育とは流水に文字を書くような
はかない業である。

だがそれを巌壁(がんぺき)に
刻むような真剣さで
取り組まねばならぬ。
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人間はおっくうがる心を
刻々に切り捨てねばならぬ。

そして齢をとるほど
それが凄まじく
ならねばなるまい
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いつまで甘え心を
捨てえないのですか。

この二度とない人生を
いったいどのように
生きようというのですか。
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教師を志すほどの者が
自分一箇の人生観、
世界観を持たなくて
どうするのです。

眼(まなこ)は広く
世界史の流れをとらえながら

しかも足元の紙くずを拾う
という実践をおろそかに
してはなりませんぞ。
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教師がおのれ自身
あかあかと生命の火を
燃やさずして

どうして生徒の心に
点火できますか。
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教育とは厳粛で
崇高な仕事なのです

民族の文化と
魂を受け継ぎ伝えていく
大事業なのです。
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すべて人間というものは
たとえ頭脳は
大した人でなくても

その人が真に自覚さえすれば
一個の天地を開くことが
できるものです。
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